ディアスポラを読んだ

グレッグ・イーガンディアスポラを読んだ。

三体を読了して、SFをもう少しまじめに読んでみようと思って最初に手に取ったのが本書。大学生のころ「順列都市」をその難解さから何度か中断しながら取り組んだが、結果的に面白かったおぼろげな記憶があったので、難しいと思いつつも三体の次はグレッグ・イーガンにすることに決めた。

読了するまでに1ヶ月以上かけてしまったので、素早く理解できるような頭は十数年では獲得できなかったのだと痛感した。

自分の話は置いておいて、本書。高度に発達した人類社会は死を克服し、人間をソフトウェアとして走らせるようになっていた。ただ、全ての人類がソフトウェア的な在り方を選んでいるわけではなく、機械の体を持つグレイズナー。古くからの肉体で生きる肉体人と、生きること自体に多様性が生まれていた。テクノロジーにより人類が分化したようなイメージ。

そんな社会であるとき大量のガンマ線バーストを発する天体事象が発生し、肉体人はあっけなく滅びる。原因不明の天体事象を前に、いつ起こるとも知れない不可避の滅亡に備えるべく、ソフトウェア化した人類は、自身のスナップショットを保存した数多の宇宙船団を作り、宇宙に散らばることになる。これがタイトルのディアスポラ、「移民」「植民」という内容につながっていく。

こうしたソフトウェア化した人類、グレイズナー、肉体人といった内容が特にことわりもなく現れるので、SFを読んだことがないと振り落とされる可能性が高い。電子版ではアクセスしにくかったが、注釈が巻末にあるので、よくわからない状態になったらちょくちょく見ることをおすすめする。

人間離れしたソフトウェア人類といえる人物が主人公なため、感情移入できようがないと考えるかもしれないがそんなことはない。グレイズナーの身体を使って肉体人と交流するソフトウェア人類が、ガンマ線バーストで滅びる前の肉体人を強制的にソフトウェア化させるか葛藤するシーンは、人間ドラマそのものだった。進化して肉体や精神のあり方がかわってしまった時代でも、人間らしい感情は存在する。SFではあるが、人類そのものを描こうとし、描けている作品なのだと感じた。